IWGP Phoenix とは

今年の11月11日でフェニックスは満20歳の誕生日を迎える。 20年近く当たり前のようにやってきたフェニックスの野球ではあるが、 冷静に考えてみると我ながら「よくこんなに続いてきたなぁ〜!」と感心するばかりだ。 20年近くもやっていると、当然メンバーもかなり入れ替わる。 この20年間に多くのメンバーが入部し、そして去っていった。 今では昔を知らないメンバーの方が多いかもしれない。 そこで20周年を迎える前に“フェニックスの歴史”(大袈裟:笑)を少し紹介しておく事にする。 1982年夏、日大豊山を卒業したばかりの僕が“あの”名バイク『RZ250』を購入した。 フェニックス誕生のきっかけとなったのは、実はこのRZ250なのである。(と、僕は思っている) 念願のRZ250を購入したばかりの当時の僕は、嬉しくて意味も無く毎日乗り回していた。 特に用も無いのに(笑)日大豊山の同級生である島良司の家にちょくちょく遊びに行っていた。 彼の家に行くとかなりの確率である男がいた。(または来た) そう!その男こそ現監督で同級生の鈴木昭彦だ! 野球好きの3人が集まれば、当然野球の話ばかりとなる。 僕は阪神ファン、島は日ハムファン(当時)、監督は読売ファンとそれぞれ野球観は違えども、 『同期で野球チームを作ろう!』という話になるのにそれほど時間は掛からなかった。 秋ぐらいからは、メンバー選考の為に集まるようになっていった。 「あいつは上手いけど毎回は来ないぞ!」 「あいつは確実に来るだろうけど、○○とあまり仲良くないしな〜」 などと色々と悩んだが、最終的に安部・渡辺・岩渕・菊盛・椎橋・菅谷の6人を加え めでたく初期メンバー9人が決定した。 あとは全員で集まって、チーム名・ユニホーム等を決めるだけだ! とは言っても日大豊山という“モロ体育会系学校”で締めつけられてたみんなの事だ。 その反動が出て遊びで忙しいのか、なかなか全員の都合が合う日が見つからない。 すったもんだの末、11月11日に池袋で集まる事となった。 まずはチーム名を決める事になったが、こちらの方は比較的すんなり決まった(と思う)。 当時無敵を誇っていた日大・アメフト部のニックネーム『フェニックス』である。 サザンクロス・ウォリアーズなど幾つかの候補も出たが、 (バトルジャイアンツなどと、とぼけた意見を言ってた奴もいたが・・・) やはり全員が日大の付属校の卒業生である。(しかも、9人中7人が日大生) 問題はユニホームであった。こちらはとても難航した。 最終的に当時のフィリーズモデル(赤のストライプ)に決定したが、 決選投票にまでもつれ込んだ末での決定だった。(たしか1票差だったと思う) それ以外の話しはすんなりだったと記憶している。 後日ユニホームのオーダーをしに大矢スポーツへ行き、11月下旬にユニホームが納品される。 そして、初練習は11月最終日曜(日にちは忘れた)、初試合は12月初旬(こちらも同様に忘れた)と決定した。 初練習を終え、初試合の日を迎えた。 グランドは隅田公園(現・台東リバーサイド・スポーツセンター)で、対戦相手は都立北豊島工チームである。 試合前の練習に力が入った。「よしっ!白星デビューで飾ろう!」と全員がそう思っていた。 しかし、突然の大雨・・・無念にも初試合は翌年に繰り越されてしまった。 年が明けて1月初旬(同:笑)、今回は天気も大丈夫そうだ! グランドは葛飾・奥戸球場、対戦相手は千葉日大一OBチームである。 試合は10対1で完勝!幸先の良いスタートをきる事ができた。 しかし、ようやく初試合まで漕ぎつけたフェニックスであったが、 実はまだこの時点でどこのリーグにも所属していなかった。 このままだと定期的に試合が組めないので、僕は自然解散の不安を抱えていた。 で、知り合いに紹介してもらったのが2年前に復帰した『荒川区野球好友会』である。 ここでは詳しい事は省くが、このリーグは9人ピッタリの僕等にとって、とても都合の良いリーグだった。 好友会に入るにあたってチーム名の変更が必要となった。 何故かと言うと、好友会にフェニックスというチームが既にあったからである。 そこで名付けたのが『日大豊山フェニックス』という名前である。 他のチームからは『日大』と呼ばれ、帝京大の学生であった僕としては複雑な思いであった(笑)。 数年後、豊山卒業生以外のメンバーが過半数近くを占めるようになって、 現チーム名『IWGPフェニックス』となったのである。 まだまだ書きたい事はあるのですが、さすがに20年の歴史は全て書き切れません。 書き出したらキリがありませんし、さすがに僕も全部は憶えていません(笑)。 (触れたくない事もあります:笑) そのうち、少しづつ紹介していこうと思っています。 今回は下に大まかなチーム成績だけを記す事にします。 2002年春 Shige
主な成績
軟式野球連盟はベスト8以上、区民大会・西尾久は3位以上、好友会・新体連は準優勝以上を記載 (軟式野球連盟は1・2部は6チーム総当り、3・4部はトーナメント) 1983年秋 荒川区野球好友会     準優勝 1984年秋 荒川区野球好友会     優 勝 1986年秋 荒川区野球好友会     準優勝 1987年秋 荒川区野球好友会     優 勝 ―――――――――――――――中  略―――――――――――――――    荒川区野球好友会(88〜90)     準優勝  数回?    西尾久草野球連盟(92〜98)     準優勝  数 回         〃              3 位  多 数    軟式野球連盟・荒川区4部(89〜97) 準優勝  2 回         〃              ベスト4 数 回         〃              ベスト8 多 数    荒川区民大会・4部           準優勝  2 回         〃              3 位  数 回 ―――――――――――――――中  略――――――――――――――― 1997年夏 軟式野球連盟・荒川区4部 優 勝 1997年  荒川区民大会・4部    優 勝 1998年春 軟式野球連盟・荒川区3部 ベスト8 1999年  西尾久草野球連盟     優 勝 1999年春 軟式野球連盟・荒川区3部 ベスト4 1999年夏 軟式野球連盟・荒川区3部 優 勝 1999年  荒川区民大会・3部    優 勝 2000年春 軟式野球連盟・東京都3部 ベスト4 2000年春 軟式野球連盟・荒川区2部 準優勝 2000年夏 軟式野球連盟・荒川区1部 6 位 2000年  新日本スポーツ連盟・北区 準優勝 2001年春 軟式野球連盟・荒川区2部 準優勝 2001年夏 軟式野球連盟・荒川区1部 6 位 荒川区野球好友会(1983〜90・2000〜) 荒川区軟式野球連盟(1989〜) 西尾久草野球連盟(1992〜1999) 新日本スポーツ連盟・北区(1999〜)